幼児教育科13期生渡邊敬子さんが来訪(2006.11.1)
 渡邊敬子さんは昭和56年度学生自治会長を務めました。卒業後3〜4年ほど、山形市内の保育園に勤務した後、結婚のため退職し米沢で生活していましたが、今年になってから家族で山形市に住むようになりました。渡邊さんのコメントを紹介します。

 卒業して四半世紀になりますが、学生時代に何事にも積極的に取り組んだことが大きな支えになっています。
 大学祭では、つかこうへい氏の講演会を開いたことが思い出に残っています。当時、つか氏は売れっ子の劇作家だったので、日程を調整するのにかなり苦労しました。結構、無理な要求をしてつか氏を困らせたりしましたが、何とか講演会を開くことができました。先生方も大勢聞きに来てくれたので、講演会は大成功だったと思います。
 学生と大学との連絡協議会では、ピアノ棟の暖房について学生側から要求がありました。私は、あのとき強い口調で、当時学監だった渋谷貞次郎先生を問い詰めたことがありました。今、思うと「若かったからできた」ということでしょうか。
 3月15日の卒業式で謝辞を読み上げるとき、『もうこれで短大を去らなければならない』と思ったら、急に涙が溢れてきました。目がかすんで学長の富澤カネ先生の顔がよく見えなかったし、壇上でつまづいて転びそうになりました。
 現在、山形社会保険事務所で仕事をしていますが、家庭訪問をして子どもと接するとき、小関賢先生から教えていただいた『児童心理学』が今でも役に立っています。