国文科12期生遠藤美記さんのご両親からメッセージをいただきましたので紹介します(写真提供遠藤悦子氏)。
美記を思う
遠藤公夫
ずいぶん前に読んだ本に「すたこらさっちゃん」と呼ばれていた女性がいたのを覚えています。
もし娘に今があれば趣は異なりますが、「すたこらみきゃん」と呼ばれていたかもと思ったりします。
汗を拭きながらあっちに首を突っ込んだり、こっちに話をかけたり、怒ったり笑ったりの日々をきっと送っていたのではあるまいかと、彼女を時折偲んでおります。
山形短期大学在学中に大変お世話になりました美記の母校より突然のお電話をいただきまして、しばし時の流れを生前の娘のもとに戻していただいたような気が致しました。皆様に感謝し御礼申し上げます。美記との思い出は大方彼女が日記に書き残してくれ、「一人ぼっちの部屋」「通り過ぎた風」に凝縮されているような気がします。
高校時代の文集を見ると、風になって木々や花たち動物たち、ひとたちに沢山の事を語りかけたかったようです。だから美記は死んでなんかいないのですね。夢の実現が叶って千の風になり翔めぐっているかも知れません。そんな風に今は思っております。もしお役にたつかどうか参考までに、美記が三歳のころの思い出を次に書いてみました。
思い出 三歳の美紀
かすかな風が若葉を通り太陽の輝きが美しい季節でした。
小さな可愛い女の子が焼きたてのパンを篭いっぱいに入れて両手で抱えながら、一生懸命道端を歩いて来るではありませんか。美記が三歳の頃でした。赤湯の町にも、私の家の家の近くにパン屋さんがオープンした頃の出来事です。食パンをトーストにして食べることが特別のようにハイカラぽかったのです。遠藤が胃が弱かったので早速お昼は時折パン食にしていました。現在からみればお米より高価でしたから、毎日と云う訳にはいかなかったのです。あるときお昼近くに美記の大好きな叔母さま方が突然いらっしゃいました。大人たちが挨拶をかわしている中にいつの間にか美記の姿が消えていました。美記がいないのに気づいた大人たちは大騒ぎになり神かくしのような不安をいだき近くをさがし廻りました。この不思議な出来事に、みんな心配になり真っ青になっていました。そんな大人たちの心配をよそに何とも可愛らしい小さい体に我が家のパン篭を両手で抱え、パンの匂いをさせながら誇らしげに「お母さん、パン買って来て上げたよう」と遠くから声をあげながら帰ってきたのです。大人たちはこのいとしい功績を怒ることもできず、心配と喜びに発する言葉の術もなく泣き笑いをしてしまいました。私はすぐにパン屋さんに支払いにゆきました。お店では「遠藤美記とおっしゃって食パンの数も自分で注文しました。お家のことはいつもお買いになる篭で分かりましたので心配なくお渡しした」と云うことでした。美味しいパンを叔母さまたちにもご馳走したら、みんなが喜んでくれると思ったのでしょう。このように大きくなってからも親の先手をとられて面倒をみられっぱなしのような気がします。美記がそこにいるだけで安堵感がありました。大らかで逞しい娘と思い込んでいる私に彼女は親を先取りして心配かけることもなく大空に去ってしまいました。精神的にどんなにか親に頼りたかったことでしょうに、先に母から頼られてしまって苦笑している美記の姿を思い浮かべて悔いながら、ありがとうの気持ちでいっぱいです。私の最期まで美記といたかったです。
二〇〇七年十一月十一日 遠藤悦子
関連記事【耀ニュース・トピックス(2007.11.14)(2007.11.14)】
美記を思う
遠藤公夫
ずいぶん前に読んだ本に「すたこらさっちゃん」と呼ばれていた女性がいたのを覚えています。
もし娘に今があれば趣は異なりますが、「すたこらみきゃん」と呼ばれていたかもと思ったりします。
汗を拭きながらあっちに首を突っ込んだり、こっちに話をかけたり、怒ったり笑ったりの日々をきっと送っていたのではあるまいかと、彼女を時折偲んでおります。
山形短期大学在学中に大変お世話になりました美記の母校より突然のお電話をいただきまして、しばし時の流れを生前の娘のもとに戻していただいたような気が致しました。皆様に感謝し御礼申し上げます。美記との思い出は大方彼女が日記に書き残してくれ、「一人ぼっちの部屋」「通り過ぎた風」に凝縮されているような気がします。
高校時代の文集を見ると、風になって木々や花たち動物たち、ひとたちに沢山の事を語りかけたかったようです。だから美記は死んでなんかいないのですね。夢の実現が叶って千の風になり翔めぐっているかも知れません。そんな風に今は思っております。もしお役にたつかどうか参考までに、美記が三歳のころの思い出を次に書いてみました。
思い出 三歳の美紀
かすかな風が若葉を通り太陽の輝きが美しい季節でした。
小さな可愛い女の子が焼きたてのパンを篭いっぱいに入れて両手で抱えながら、一生懸命道端を歩いて来るではありませんか。美記が三歳の頃でした。赤湯の町にも、私の家の家の近くにパン屋さんがオープンした頃の出来事です。食パンをトーストにして食べることが特別のようにハイカラぽかったのです。遠藤が胃が弱かったので早速お昼は時折パン食にしていました。現在からみればお米より高価でしたから、毎日と云う訳にはいかなかったのです。あるときお昼近くに美記の大好きな叔母さま方が突然いらっしゃいました。大人たちが挨拶をかわしている中にいつの間にか美記の姿が消えていました。美記がいないのに気づいた大人たちは大騒ぎになり神かくしのような不安をいだき近くをさがし廻りました。この不思議な出来事に、みんな心配になり真っ青になっていました。そんな大人たちの心配をよそに何とも可愛らしい小さい体に我が家のパン篭を両手で抱え、パンの匂いをさせながら誇らしげに「お母さん、パン買って来て上げたよう」と遠くから声をあげながら帰ってきたのです。大人たちはこのいとしい功績を怒ることもできず、心配と喜びに発する言葉の術もなく泣き笑いをしてしまいました。私はすぐにパン屋さんに支払いにゆきました。お店では「遠藤美記とおっしゃって食パンの数も自分で注文しました。お家のことはいつもお買いになる篭で分かりましたので心配なくお渡しした」と云うことでした。美味しいパンを叔母さまたちにもご馳走したら、みんなが喜んでくれると思ったのでしょう。このように大きくなってからも親の先手をとられて面倒をみられっぱなしのような気がします。美記がそこにいるだけで安堵感がありました。大らかで逞しい娘と思い込んでいる私に彼女は親を先取りして心配かけることもなく大空に去ってしまいました。精神的にどんなにか親に頼りたかったことでしょうに、先に母から頼られてしまって苦笑している美記の姿を思い浮かべて悔いながら、ありがとうの気持ちでいっぱいです。私の最期まで美記といたかったです。
二〇〇七年十一月十一日 遠藤悦子
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